“石原都知事の「刺激が少ない」って理由での芥川賞選考辞退はちょっとわからん、だったら電マ当てながら選考したらいいのに”
“古来、日本には「ハレ(非日常)とケ(日常)」の生活感覚があり、単調だけどゆっくりと成長していく「ケ」の時間と、祭りなどに代表される、イベント的な「ハレ」を迎えて、一年の疲れを癒し、仲間たちと来年への希望を共有する時間があった。現代社会においては、毎日が「ハレ」であることを人々が願い、その結果、丁寧にゆっくり過ごすべき「ケ」をないがしろにしてしまった。  その結果、ハレ疲れによる、行き場のない倦怠感が社会に満ちているのではないか。学校という、人間をゆっくり成長させていく環境が、受験というイベントのためのシステムになっているのではないだろうか。”
“書評と限らないけど、試したものの評価を文章で書いてみる。これは確かによいですよ。個人的なアドバイスを加えると、けなす批評っていうのは、自分が偉そうに思えるつまらない詐術なんでそこにどつぼらないように。”
“私がこの世でいちばん格好いいと思っている単線電車は、越後湯沢から直江津まで、山を貫き、どんな雪深さにもめげずいつでもほとんど正確なダイヤで運行する裏日本のヒーロー、ほくほく線である”
“余談。「口コミ/クチコミ」が大宅壮一が1962年ごろから使いだした造語だいうことを初めて知りました。だとすると、今年は「口コミ」50周年ということになります。 「語源由来時点」によると、大宅壮一は「口コミ」としては口伝のものだけを指し、活字によるものは「手コミ」として呼び分けていたとあります。とりあえず大雑把にまとめて口コミ、という形で意味が変化してきたのでしょう。”
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Kaho.NEBOBRAND.027 (via NEBOBRAND)

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娘を持ってから気がついたのは、他者というのは「教えようとすると、学ばない」という不思議な事実です。これは職人の育成において、古くから世界中で採用されている「徒弟制(とていせい)」の中には組み込まれているセオリーです。すなわち、師匠が弟子に直接は何も教えないからこそ、弟子は師匠から技を盗もうとし、一人前に育つのだと。

この文脈からすると、先生が生徒に向かって一方的に知識を伝えるような従来の教授法には、決定的なデザイン・エラーがあることが推測されます。先生からよりもむしろ、2ちゃんねるから多くを学べるのはどうしてなのか。

NED-WLT (via gkojax, shibata616)
2009-09-27 (via gkojay) (via goyou) (via dannnao) (via kml) (via forzando) (via fishandmush) (via roland303) (via flatmountain) (via retype-jnthed) (via wyohkan) 2010-08-03 (via gkojax-text) (via mcsgsym) (via netgeek) (via kitutuki) (via motovene) (via nashi-kyo) (via layer13) (via goodmorning)

.PICAPIXELS / tumblr xote, ffffound.com
via http://picapixels.tumblr.com/
ブシロード「カードゲームはソーシャルだと弊社代表はいうのですが他にも面白いことをいってまして、駅の広告を一杯出してるとTwitterで皆つぶやいてくれるので助かってます。雑誌はつぶやいてくれないので」
“匿名でしか書かれないことの一つに「孤独」がある。自分と関わりのある人間に聞こえるように語れば「俺が傍にいるじゃないか馬鹿野郎」と悲しませることになる。言える訳がない。そんな関係の中で感じた孤独を語るには名を隠すしかない。故に、名を隠せる場は孤独の表明に溢れる。”
Twitter / Mariko Goda / ごうだまりぽ (via jinon)
2008-01-10 (via gkojay) (via gkojax) (via jinakanishi) (via ssbt) (via yoshinani) (via wideangle) (via scalable) (via toronei) (via katoyuu)

サマセット・モームが毎朝必ず机に向かい、何も書けないときはずっと自分の名前をタイプしていたというのは有名な話です。文豪ゲーテですら、大作主義を戒め、日々何かを書くように言います。
書き続ける中で自動書記のように書けるときそのデモーニッシュな働きをインスピレーションとかつては言いました。そのインスピレーションは身体を動かし続け、書き続ける中で育まれます。
だからこそ、モームは手を止めなかったのでしょう。

我々はつい頭の中で考えてからそれを表現しようとしますが、表現も思考も、行動の中にしかありません。数学者や物理学者はひたすら手を動かし、足を動かします。天才が散歩好きなのはそこに理由があるように思います。ジョブズも歩きまわりました。カントも毎日決まった時刻に散歩し、ゲーデルとアインシュタインは一緒に散歩することを好みました。京都の哲学の道も有名です。

電子書籍の今後を推測する上で、よく例に出されるのが、音楽のダウンロードですが、私はちょっと違うと思います。
音楽はレコード・カセットテープ・CD・MDと、この何十年かでもパッケージが次々と変化してきてるし、ユーザー自身がパッケージの移動を普通にやってきた。そこに、より便利なダウンロードが登場したわけです。
これまで体験してきたことが、より楽ちんになった。それは当然普及しますよ。

でも、本の場合、パッケージの変化なんて歴史上でも一度もありませんでした。
だから、あえて、たとえるなら、映画のビデオ販売が始まった時期のほうが適しているんじゃないかと思います。
「映画館で観る」以外に選択肢がなかったところから、「家庭で好きなときにみる」という全く別の選択肢が生まれたスイッチの瞬間です。
今、出版界で起こっていることは、むしろこっちに近い。

だから、「音楽ダウンロードサービスが成功した理由」よりも「映画のビデオ販売が成功した理由」を研究したほうがいいと思います。